先日アニマルコミュニケーションの記事を上げた時、パパがそれを読んで、なんか怪しいものをやったと思ったらしいw
いや全然ふつーの反応。
っていうか、この超現実主義の効率主義者の私が急に変な思想にハマると思うか!?
っていうことでアニマルコミュニケーションのお話。
先日、フロリダ在住のアビちゃんママにさくこすのアニマルコミュニケーションをしてもらったんだ。
さくら編。
COSMO編。
人間はそのほとんどを嘘で生きています。
ここでいう嘘というのは「方便」に近いもので、気配りという物も含まれます。
つまり自分勝手にしないために自分の気持ちを曲げて何かをする全てを指します。
それは社会的に生きていかなければならないので悪いことではないのです。我々の行動のほとんどはなんらかの嘘で作られていると思います。
だから表情も嘘をつく。つまり「そのまま」よりも「表面的」なものを重視するのが人間。
そして人間は言語表現に縛られた生き物です。
言語のみでのコミュニケーションが可能なので書籍やラジオが成立します。
人類は二足歩行により言語を獲得し、その結果他の動物たちと全く違う高度に知的な世界に生きることになりました。
でもそれは、動物の元々のコミュニケーション能力を放棄することになったと思います。
よく「犬を擬人化するな」っていうけどそういうことだと思うんだけど、人間的に考えてしまう。人間だからある程度は仕方がない。
で、アニマルコミュニケーションの話に戻ると。
アニマルコミュニケーションをしてる人は多分、何も犬と言葉を交わしてるわけではないんだと思う。
犬は言葉を喋れないから。
なんというか「気」のようなものをやりとりするというか、犬から受け取る感じなのかな?
私が出した質問を、アビちゃんママが言語から「気」みたいなものに変えて、それを犬とやりとりする感じなのかな?
非言語的なものはなかなか認識が難しいんだけど運不運とかオーラとかっていうのはわかりやすい。
例えば、学生の頃のバイトで黒柳徹子さんを見たことがあるんだけど、そりゃーまあすごいオーラだった!
遠くから見ただけだし、顔とかすっごく小さい人だったんだけどね。
それから私の母には霊感があって。(もう高齢だからないけど)
人が亡くなったとかすぐわかるんだよね。
それを目の当たりにして結構恐ろしかった。
で、自分の話。
私が子どもの頃、実家で犬飼ってたんだけど、私は犬の気持ちがすごくよくわかって、犬も私のことが一番好きだった。
ちょっと複雑な幼少期を過ごしたので(家庭環境ではありません)、人間よりも動物とか虫とかの方が好きだったし、一緒にいるだけで幸せだった。
夕方の約2時間の散歩の時間が本当に至福だった。
今じゃ怒られるからできないけど、公園の遊具で、アジリティ みたいに一緒に遊んだ。
人間と犬というより、この遊びを一緒にできる唯一の相手。
当時を思い返せば、オヤツで釣るようなことはなかった(オヤツなんて概念ないし!)。
当時の自分は犬と会話できてたと思う。
あのときは犬と会話できてた。余計なことを考えてなかったからね。
自分の子どもの頃の素直な感覚を取り戻したい。
そのためには理詰め武装した自分を変えていかなきゃいけない、そう思うんだ。